鍼の深さを知る人よ

Twitterにて学生の方が、深刺、パルスに対して抵抗があり、そういった治療を見学して苦手だなという呟きに対して

ベテランの先生より適切なアドバイスがあり、結果やらない事とできない事は違う!と、そして勉強します!みたいな一連の流れを拝見しました。



とても素晴らしい!
Twitterのあるべき姿!

本当に良い!
良いなぁ…私がアドバイスしたことにならんかなぁ…
はぁ…そういう世界線パラレルワールドどっかにないかな…



気の利いた事が言いたい承認欲求おじさんとしては、
本当は違うと思いながらも、敢えて逆のことを言うという三流コメンテーターみたいなことをやってみたら良いのでは?と思うんですが、ちょっとやってみましょう。




まず鍼灸治療は個性的な方がいいのではないか。と考えていまして、
深く刺すことを一切学ばない。という特殊な状況を経ることで初めて見つかる鍼灸治療もあるのではないのかなと思うのです。



なにかを得ることで失うものもあるじゃないですか?



私自身、子供のころ少し吃音ぽいところがあったんですが年をとる毎に減ってきたんです。

ただそれに伴ってパッと見たものを記憶する力が弱まってきまして、それこそ子供の頃は物覚えの良い方だった筈なんです。

成長と共に右脳左脳の発達具合が変わったんでしょうか、今現在は会話もちょい詰まる上に物覚えが悪い有り様です。



あともう一つ身内の話なんですが、妻は学生時代所謂ボーイズラブ的な文章や絵やらを量産していたそうなんです。

これが処女を失うと同時にできなくなり、その後も当時のようにアイデアが湧き出ることはなくなってしまったそうです。



つまりなにかを経験することである側面としてプラスでも、ある側面からはマイナスになるのではないかと!



深く刺す、そして症状が改善することを経験してしまうことで、深刺しの気持良さを知ってしまい、深刺し怖さ忘れてしまうのではないか!



腰痛や坐骨神経痛の患者さんに、3寸の鍼を大腸兪の外辺りからゆっくりと挿入していくじゃないですか、
そろりそろりと入っていって…患者さんと同時に、指先にンッ感じる!
響きを確認すると腰から下肢後面、もしくは大腿前面に気持良いという声。

頃合を見て抜き、患者さんを起こすと…「え?腰楽っ!?足軽い!?」



この時の気持良さは術者側も格別ですね。
多幸感のような、脳から何かウワッと出てる!って感じがしますよね。



あー…明日なんとか理由つけて大腰筋刺そ…



やはり改めて考えると深刺しは危ない。
二重の意味で危ないので注意した方がいいですね。



閉話休題



鍼灸治療において何かこだわりがあった方が良い。と言うのは本当に考えていまして、

なにか縛り、条件というか、HUNTER×HUNTERでいうところの制約と誓約みたいな。



私は自分が気胸からの入院を経験しているので、
開業以来、肩背部には毫鍼は使わないと決めて、破ると自分が気胸になるという制約を定めています。(クラピカのジャッジメントチェーンみたいのが肺に巻付いています)



なので今のところ肩や背中が凝っている、痛いから鍼をしてくれという訴えに対しては、毫鍼を使わずにどうにかこうにか工夫しながら納得してもらっております。



そういったところから治療の個性が生まれるかなと思うのですが、いかがでしょう?



ところで愚地克己の隻腕という個性、烈海王の腕がくっ付いてあっさり無くなりましたね。(今週のチャンピオン)


おわり