外関を養生として使うか

外関という経穴が…(5日ぶり3回目)

自分でも、もういい加減搾り尽くしたと思っているんですが、
外関を養生として使うか?という半分本気のコメントをいただきましたので、半分本気で考えてみました。



(熱を入れすぎたためか、文章がうまくまとまりませんでした。

推敲に推敲を重ねた結果諦めたので、居酒屋のカウンターの隅にいるおじさんの独り言を書き起こしたと思ってください。

結局、私は外関が好きという事実があって理由は後付けなのだなということが分かりました。)



質問を受けた際は、なんとか頭を振り回して「脾腎を補った上で+αとしては養生として必要かと思います(キリッ」と必死にひねり出しましたが、
改めて振り返ってもそんなに悪い答えではないのでは?と自惚れています。





まず養生を考える際に、私は澤田流がベースなので必要なことは、なにより脾と腎。
その上で三焦は原気の別使として重要だと考えています。



澤田流なら陽池だろ!となるかと思うんですが、
悲しいかな私の技術と経験の少なさのため、陽池がうまく使えないんです。



代田先生は後々陽池も太渓も省略しちゃうし本当に必要なのか、市石喜代治先生は全部の証に使われてるけど…



それでも場所的にも、要穴的にも重要だろうとは思うんですがなにかまだピンと来ない状態です。(陽池の使い方教えてください)





そこで外関なんですが、原穴ほどの力はなかったとしても陽池の隣だし、三焦経には何かしら作用するだろうし、絡穴だから他にもなにか良いことあるんじゃないか?という気持で使っています。



個人的に穴性は経絡上で徐々に変化すると思っているので外関も大きく括れば陽池みたいなもんだ!と自分と患者さんの身体に言い聞かせています。(中渚でもいいんですが、中渚もうまく使えません)



あとは解表の効果もあるし、陽維脈の主穴としても寒熱に対して使えるので、標治的ですが風邪を深く入れないこととして養生になるのではないかと思います。(深くなったときは支溝に寄せます、なんとなく)




場所柄でもう一つ
病症が気っぽいなという時は大腸経に寄せて、熱っぽいなという時は小腸経に寄せます。
…と書いたものの肺に熱があるような時は大腸経寄りで、支溝(飛虎)のつもりで使うので…自分でもルールが定まってません!そのときの気分で決めます!



外関に限らずですが、師匠からはさんざん経穴がズレていると叱られてきました…
未だに1人で臨床していても師匠が天から見ていてくれて、叱られないかなと思う秋の午後です…




あと鍼を深く、方形回内筋まで刺す訳ではないんですが、刺激すると前腕の回内回外、手関節の可動域が広がるように思います。



手関節の可動域制限が少なくなると、前腕上腕の位置もいい感じになって、姿勢も良くなって、そういった面でも養生?になるのではないかと思っています。





以上、私の拙い臨床の中でこのように思いますという話で、誰かの意見を聞いたり、本を読んだりだったりですぐ意見は変わります。

なので読んでくださった方の意見も教えていただけると幸いです。



ただ、この経穴はこうだろ!こう使うんだ!みたいに来られると、途端に嫌になってしまうので、優しく教えて下さい。





最後になりますが、本気で答え過ぎたので中庸にする為のゴー☆ジャス経穴ギャグです。



「やー今日は遊びに行くからなー!楽しみだなー!

…!?

何だかお腹が痛い…?

いたたたた!痛い痛い!お腹が痛い!

うわー、これじゃあ外に出れん!

外に出れん!

外出れん!

そとでれん!



巨虚下廉(こきょげれん)!」